福岡高等裁判所 昭和37年(う)761号 判決 1962年12月25日
控訴人 被告人 浦川実雄
弁護人 樺島年太郎
検察官 土井義明
主文
原判決を破棄する。
被告人を禁錮四月に処する。
理由
弁護人樺島年太郎が陳述した控訴趣意は、記録に編綴の同弁護人提出の控訴趣意書に記載のとおりであるから、これを引用する。
同控訴趣意第一点、第二点について。
しかし、刑法第二一一条のいわゆる業務とは、各人が社会生活上の地位に基き反覆継続して行う行為であつて一般に人の生命身体に対し危険を伴うものを指称し、その行為が職業としてなされたものであると娯楽その他としてなされたものであるとは問うことなく、苟も同種行為を反覆継続して行えば業務と解するのが相当である。従つて、日頃、自動車運転の練習に従事し、継続して自動車を運転している者が、たまたまそれ以外の目的で運転した場合であつてもこれが運転は業務に当るものといわねばならない。原判決挙示の証拠によれば被告人は当時一ケ月前から練習のため毎日のように小型四輪自動車を運転していた事実が認められるから、右練習運転が常に所定の広場で且つ有資格者指導の下に行われ、本件の如く公道上で指導者もなくしかも家業の集金のため自動車を運転したのは初めてのことに属すること所論のとおりであるとしても、只その目的、態様を異にするだけで自動車の運転練習に従事する者の運転たることに相違はないから刑法第二一一条のいわゆる業務に当るものというべく、従つて被告人は本件につき業務上過失の責を免れない。原判決に所論の如き証拠の欠缺、理由不備、法律解釈の誤、事実誤認は存しない。論旨は理由がない。
同控訴趣意第三点について。
よつて記録を精査するに、被告人は被害者に対し慰藉料等として合計二四万円を支払い被害者も被告人の寛大な処分を望んでいることその他諸般の情状を考察すれば、被告人の過失が重大にして被害の程度の大なることを考慮にいれても原審の被告人に対する科刑は重きに過ぎ不当であるから、原判決は破棄を免れない。論旨は理由がある。
そこで、刑事訴訟法第三九七条第一項に則り原判決を破棄し、同法第四〇〇条但書に従い更に判決する。
原判決の確定した事実に法律を適用すれば、被告人の原判示所為中業務上過失致死傷の点は刑法第二一一条前段罰金等臨時措置法第三条に、無免許運転の点は道路交通法第六四条第一一八条一項一号に当るところ、前者は一個の行為にして二個の罪名に触れるから刑法第五四条第一項前段第一〇条により犯情重い業務上過失致死の刑を以て処断し所定刑中禁錮刑を選択し、無免許運転については懲役刑を選択し、以上は刑法第四五条前段の併合罪であるから向法第四七条第一〇条により重い前者の刑に法定の加重をした上被告人を禁錮四月に処すべきものとする。
よつて主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 岡林次郎 裁判官 中村荘十郎 裁判官 臼杵勉)
弁護人樺島年太郎の控訴趣意
被告人が原審判決摘示事実のとおり小型四輪乗用自動車を運転し集金のため大牟田市唐船から黒崎方面に向う途中昭和三六年一〇月三〇日午後五時過判示の場所で過失に依り自動車を衝突させて富松幸二を死に致し内野俊昭に傷害を与えた事実は被告人が一貫して自白しているばかりでなく判示の各証拠に依つて其証明があると思はれるから敢えてこの点に対しては不服はないが。
第一点原判決が右の過失を被告人の業務上の過失と認定したのは事実の誤認か又は法律の解釈を誤つた違法がある。
被告人は第二種原動機付自転車の運転免許状は持つているけれども小型四輪自動車の運転免許は受けてないが被告人の父の営業上の集金等に従事するために自動車の運転の必要を痛感し事故発生当時は運転手を雇い運転させていたが将来は被告人自ら運転して父の業務を助くる希望を以て自動車の運転を習得するために運転練習場で教師の指導を受けて運転の技術を修習していたことは被告人の第二回公判廷に於ける供述(調書二枚、三枚目)同浦川ヨシエの供述(調書四枚目)、一〇月三一日付警察員作成の被告人供述調書(調書三枚目)の記載等に依つて明かであるが、
刑法第二一一条の所謂業務とは人が継続して或る事務を行うについて有する社会生活上の地位であると解すべきであるが其事務は主たる職業であるか又はこれを補助する付随事務たることを要する、故に運転練習の際運転を教授する者の行為は業務というべきであろうがその指導を受けて運転技術の習得をなす者の行為は業務行為ではないと解すべきであるから被告人が数十日に亘る練習場に於ける反覆運転の練習を目して業務と解して刑法第二一一条所定の業務と認めることはできない次に被告人が判示のように集金の要務で判示の場所を運転した行為だけを以て業務行為と解したものとすればこれ亦業務を誤解したものである、なぜならば業務とは同一行為を或る期間反覆累行する場合でなければならず単に一回だけ敢行した行為は業務とは解せられないことは数多の学説判例が示すところであるからである、或は原判決は被告人が練習場に於ける修習のための運転と本件犯行当時の運転行為とを結びつけて被告人は運転を反覆累行したものと解したものとすれば木に竹を続いだものと同様で業務行為と認められない行為を結びつけて強いて行為を反覆したものと解したというべく其不当であることは言を俟たない。
第二点原判決は証拠に依らないで事実を認定した不法がある。
原判決書を見ると事実を認定した証拠として被告人の法廷に於ける供述等(1) から(6) までの証拠を挙げているが、これ等の証拠を熟読てしも被告人が反覆して自動車を運転したことを認むるに足る記載は見当らない(但練習場に於ける運転は認められるが、これは被告人の主たる業務でも付随業務でもないことは前記のとおりである)尤も検察官の被告人供述調書(一枚目裏)に「父の車でありますので事故の一月位前から運転練習をして或る程度は道路上でも運転した」との供述記載はあるがこの道路というのは一般人が往復する道路であるが練習場に於ける道路で一般人の交通には使用されない通路であるのか明確でない、一月位前から運転練習をしていたとあることから考えると練習場内の通路ではないかとも思はれる故にこの一点を証拠に被告人は平素自動車を反覆運転していたものと解するのは正解ではない、却つて原判決摘示の浦川ヨシエの公判廷に於ける供述調書に「被告は平素運転はしておりませんでした」「バイクを使つたり歩いていましたので小型四輪乗用車は事故以前までは運転したことはありません「今迄バイクがあつたから用事の時はバイクに乗つて行きました」「運転手も毎日出勤していましたから実雄が乗用車に乗る必要はありませんでした事故当時までは絶対に使用したことはないと思います」等の供述記載から見ると被告が自動車を運転したのは事故発生当時の一回で其以前には運転したことがないことを認め得るであろう。
尚判決は業務上過失と認定した理由として「仮りに事件が被告が乗用車を集金のため運転した最初であるとしても被告人の当公廷における供述によれば被告人はバイクでは雨の日の集金ができないという事情もあつて今後も集金のため乗用車を反覆継続して運転する意図を有しており本件運転も、その意図のもとに行はれたことが明かである従つて被告人の運転行為は刑法第二一一条に規定する業務というべきである」と説示しているが被告人は公廷に於て裁判官の「何の目的で運転練習していたのか」との問に対して「雨の日は集金することができず且つ店の客の送りのため早く運転免許を取得し自分で運転したいと思つていたからです」と答え一日も早く運転免許を得たいと念願し練習を励んでいたことを供述したもので無免許のまゝ運転を継続する意思であつたと供述したのではない、然るに原判決は被告人が無免許運転を継続する意思であつたと供述したものと解したのは全く被告人の供述を誤解したものであり結局証拠に基かないで事実を認定したというべきである。